ウブドに流れ着いて。。。
3日前からジャワ島のジョグジャカルタからバリ島のウブドに移動して来た。
ジョグジャカルタが良すぎたせいかもしれないが、初日から「早くここを出よう」と思う始末。
街は観光客で埋め尽くされていて、騒がしく、値段もジョグジャカルタに比べると全てが二倍近くする。
でも街から一歩み出てると田園風景が広がるいい所。
こんだけ観光客が来るのは納得できるのだが、さすがにこの西洋人と東アジア人に埋めつくされている街は辛いし、カフェにいると西洋人が定員に早口の英語で捲し立ててる、姿を見てしまうと、なんか悲しくなる。
まぁそんなこんなで、初日は「早く出よう」と心に決めたのだが、2日目にウブドに来た目的であったヨガをしに行くと、それが良くて、良くて、「あぁ求めていたのは、これだわ」と心の中で叫ぶ。思わず延泊をする事に!笑
この後ロビナに行く予定だったけど、どうしようか迷う、、、、笑
写真の意味
最近よく自分の写真の意味を考える事が多い。
正直今の自分の写真には満足できてないし、
毎回「こんなん撮って意味あるんか!?」って考えてしまう。
ただ観光地に行って大きいカメラは持ってるけど、撮っている物は観光客が撮っている物と似ている物ばっかり撮っている。
今思い返すと、20代前半は技術はないけど、正直に写真と向き合って、被写体と向き合って、撮っていた気がする。
それに昔は一貫して難民やストリートチルドレンを撮るというテーマの元で撮っていた。しかし今はそれがない。
昔の写真は今見るとド下手クソだけど、少しは自分の気持ちや被写体の気持ちが乗っていた、だからパワーがあったんだと思う。しかし今の写真は上辺だけ綺麗になっていて、中身が空っぽ。
そんな写真は人の気持ちに届かないし、動かさないと思う。
もう改めて自分の写真を見直す必要があると思う。
今さらその事に気付いた自分にものすごく腹が立つ。
でも探し続けるしかないし、撮り続けるしかない。
だから旅を続けなければならない。’
旅をするという事
日本にいた時「なぜこんなに頑張っているんだろう」と思って、毎日自分の身を削る様に生きていた。
絶望、先の見えない自分の未来を感じながら、何かを求めて日本を出た。
旅をして来て
人に助けてもらったり
人に騙されたり
出会い
別れ
愛を与えてもらったり
寂しい別れを経験
を何度も繰り返して
少しずつ前に進んで来た2年間
旅をしているといろんな感情が心の中を渦巻く。
時にどうしようもない孤独を感じ
時に溢れるぐらいの有り難みを感じ
電車から沈み行く夕日を見ながら、
次に行く街はどんな街なんだろうと不安を感じたり、
前の街で出会った人達に思いを馳せながら、
寂しさを感じ、
自分の惨めさ、小ささを感じる。
でも自分の心と向き合い、感情を昇華して、進む。
最近心の底から「あぁ幸せだな」って思える瞬間が増えた気がする。
でもこれは多くの人から色々な物をもらって、学ばせてもらって来て、一緒に時間を過ごしてくれたから、、、
たぶん2年前の自分は思えなかったと思う。
これから自分がどの道を進むのかは正直まだわからないでも、
きっと写真は撮り続けると思うし、
この旅の経験は必ず自分の糧になる。
インドネシア ジョグジャカルタ
着いて初日は毎度おなじみの街をカメラを持って、ブラブラ歩く、歩く!!
毎回自分で思うけど、本当に効率の悪い観光をしていると思う!笑
Grabでバイタクを呼んで、200円ぐらいで行ける所を、汗だくだくなって、1時間歩き続ける。。。笑
でもこれが街の人や雰囲気を撮るのには、ベストの方法だと信じている。。。
2日目と3日目は郊外にある、世界遺産のお寺から朝日と夕日を撮ろうと思って行ったけど、朝日は雲の隙間からギリギリ見れたけど、、、夕日は曇っていて全く見れなかった!!
アンコールワットの3回トライして朝日が見れなかった事を思い出して、雨男なのかなって思う最近。
ジョグジャカルタは観光地化があまりされてなくて、人もバリとかに比べるとウザくなく、暖かくて、個人的には結構好きです。物価もバリに比べると安いです。
郊外には世界遺産のお寺が二個あり、その他には火山にトレッキングできたり、洞窟の中に入れるツアーなどがあり、観光するにも退屈はしません。
ただ、ビーチでゆっくりとしたい人は向かないと思います!ジョグジャカルタはそれなり大きい街なので、街の中心地に行けば、バイクや車が多く走っています。
英語って大事!!
ここ2年間ひたすら英語に触れようと、聞く音楽は洋楽、映画には日本語字幕付けない、などなどしてきました。
そのお陰で今では、ヨーロピアンと普通に話せるようになって、英語で会話をする事が楽しくなってきた。(ネイティブの英語にはまだまだついて行けません。)
なので、最近は、英語にそこまで力を入れておらず、日本語の本を読んだりして、勉強していたのですが、、、
調べ物をしていると、日本語で調べると出てこないけど、英語なら出て来る事がしばしば。
Youtubeとかでも、Adobeのソフトの説明とか、使い方とかは英語なら山の様に出て来るのに、日本語だと全然。
出てきたとしても、微妙、、、
しかも今読んでる本には情報の大切や知ってるのと、知らないのは大違い。と書かれていた
インターネット上の情報で一番多いのがダントツで英語、二番目が日本語らしいです。
でも日本語は2chとかがすごいので、そこまでいい情報がいっぱいある訳ではないらしいです。
このご時世、情報社会と言われている程、情報が物を言う時代になってきました。
自分でも最近よく思うのですが、知ってるか知らないかで、可能性の幅が雲泥の差と言っても過言ではない!
バイリンガルの友達が言っていたが、「英語話せるようになっただけで、かなり人生が変わってきた」と言っていました。
グローバルな世の中で、日本語だけの情報でいいのかと最近考えさせられてます。
メメント・モリ
ラテン語で「いつか必ず死ぬ事を忘れるな」という意味。
古代ローマ時代に将軍が凱旋を行なった際に使用人が「memento mori」と言い「今は絶頂だが、明日はどうなるかわからない」事を思い起こさせていた。
爆弾が降ってきてん!!
レバノンのトリポリという街に行った時たまたまシリア難民の人達と部屋が一緒になった。
みんな本当に明るく、優しく、夜になるとみんなでよく話した。
基本的に日本の事の質問攻めだったが、僕がシリアの事を笑いながら話してくれた。
「シリアで、服屋をやっていたんだけど、いきなり爆弾が降って来て、全部燃えてなくなってもうたわ!!ガッハッハ!!」
他のシリア人に聞いたのだが、彼らは命がけで、レバノンの国境を越えて仕事を探しに来たらしい。
僕らは選択できる
パキスタンにいた時に香港人とよく一緒に行動していた。ある日夕飯を食べていると子供連れの女性が僕らのテーブルまで来て物乞いをしに来たが店員に追い返された。
その後僕が香港人に「物乞い事どう思う?」と聞いた。そしたら彼が「物乞いの事は、よくわからないけど、僕らは幸運だと思う。なぜなら選択する事ができるから。」
中二病で悪いか!?
旅をしていろんな国に行くとたまに「発展途上国の人達の方が幸せそう」と思う。でも冷静に考えると僕らは彼らよりお金を持ってるし、稼ぐ事もできる。海外にも簡単に行く事ができて、仕事も選べる事ができる。しっかりした教育も受ける事ができる。
僕らは幸運だ!明日死ぬ事を心配しなくていいし、環境だって最高だ。
でも僕らはいつか死ぬ、もしかしたらそれが明日かもしれない。
学生の時「なんで生きてんねんやろうな」って友達に聞いたら、よく「中二病やな」て言われた。
考えすぎはよくないが、少しは自分の人生の事を考えてもいいと思う。
だって僕らは選択できるし、いつ死ぬかわからないのだから!!
デジタルってサイコー
最近のWAは寒すぎて部屋から出たくない時期になりました。
ここ2年間ずっと夏を追いかけるみたいな生活をしていたから余計に寒さを感じます。
さて、日本を出て2年以上が経ったのですが、日本では感じなかった、デジタルのありがたみを最近ヒシヒシと感じてます。
正直日本にいた時もガジェット系は大好きで、よくサービスを利用したり、買ったりしていたけど、いまの方が上手く利用できている。
個人的に「なんでだろう」と考えたのですが、理由が二つ。
デジタルの有り難み
一つが海外にいるという事。海外にいると日本で普通にできた事ができない。
例えば、日本の物が手に入りにくかったが、ネットで基本的になんでも手に入る。銀行の預金残高はATMとかでチェックしていたのですが、それがネットになった。(これはオーストラリアの銀行のwebサイトの方が利用しやすいのも一つの要因)
国によって違うが、インフラがそこまで整っていない国とかあるので、そんな時はUberやGrab(東南アジア版Uber)を使ったり、昔が地球の歩き方を見て宿を調べていたが、今やネットで予約から支払い、レビューまで見れる。
欲しいものがあればわざわざ遠くの大きい街に行かなくても、ネットで買う事がすぐ出来るし、海外で手に入りにくい、日本の本は、 kindleで読みまくれる。
海外と日本のギャップ
もう一つが日本の社会がデジタル技術に適応しきれてないという事、むしろする必要がない。
まずお金!オーストラリアとかでは基本的にカードでタップするだけで、0.1秒で支払いが済ませる事ができるが日本では今だに現金で支払いする事が多いと思う。(2年間日本に帰ってないので、変わっていたらすいません)
この間日本人から聞いたのだが、Uberが日本で使えないという事に衝撃を受けたし、あるニュース記事では「中国人が日本人がまだFAXを使っている事に驚いている」という記事を見て、「それは驚くわ」と思った。今FAXなんてしなくても、スマホで写真を撮って画像ファイルやPDFファイルを送る事が出来る。
スマホ一台で全部出来る。
お隣の中国はスマホ一台さえあれば支払いができる。町の小さな食堂や商店でさえスマホで支払いが可能だから、中国に行った時、友達はみんな現金なんて持っていなくて、すべてスマホでお金の貸し借りから支払いまでやっていて、現金で支払いをしているのは、外国人の僕一人ぐらいだった。
対応する必要がない
正直日本のデジタルに対応するスピードが遅すぎると日本を離れてみて思った。というかする必要がないのだと思う。日本は中国やアメリカ、オーストラリアに比べて、国土面積が広くない、その為インフラやが整いやすかったり、近くの都市まで車で5−10時間かかるなんて事もない。
わざわざネット買うよりすぐにお店に行けて、手に取って商品を見て買う事が容易に出来るし、Uberを使わなくてもタクシーはすぐに捕まる。てかタクシーすら使う必要がない電車やバスに乗ればいい。コンビニでFAXを送れるし、ATMだってある。
日本は既にデジタル技術に対応しなくてもメチャクチャ便利なんだと思う。
最後に
中国に行った時に思ったのが「あ!日本は完全に中国に負けている」というか最初はとにかく感動した。え!!!の連発だった。このまま行けば日本は完全に世界に置いていかれるのではないかと、非常に心配。
個人的にはせめてお金関係は、もうちょっとどうにかして欲しいと思う。日本に帰ってまたあの現金生活はちょっとやだし、日本の銀行のWebサイトは使いにくすぎる。今使っている海外のバンクのアプリなんてiphoneのTouch IDでログインが出来る。まさに0.1秒で自分の口座の残高をチェック出来る。これにはメチャクチャ感動した。